2017年3月17日金曜日

簡単はなんて恐ろしいのか!ネット社会の恐怖について考えてみた!/サラリーマンの王道

<作画:みやかね にわとり>

~簡単はなんて恐ろしいのか(◎_◎;)ネット社会の恐怖について考えてみた!~


 こないだ前を歩いていた小学生くらいの男の子二人の会話。
「え?!うそ?江戸時代ってメールなかったの?」
「あるわけないよ。スマホもなかったんだよ」
「へー、そうなんだ。でもガラケーくらいはなぁ・・・」
 電話ですら日本で商用を中心に普及し始めたのが1950年代だ。一般家庭の必需品となったのは1970年代である。携帯電話は1990年代だから、ガラケーが江戸時代にあるはずがない(=_=)
 しかしそう勘違いしても不思議ではないくらい携帯電話は日常に溶け込み、今やあるのが当たり前になっている。

 メールが携帯で出来るようになったのはとても便利だ。いちいち電話しなければ用が足りなかったのが、メールでやりとりすれば完結するなんて夢のようである。
 飲み会の連絡は食べログのリンクさえ貼っておけば、電話番号や住所すら伝える必要はない。更に一斉送信できるので実に簡単である。
 また、リンクから地図を開けば音声付きのナビが店まで案内してくれる。至れり尽くせりである。別に飲み会専用に使っているわけではないが、どうしてもおやじの用途は限られる(^^;)のである。

 電話が出来、携帯電話が普及し、インターネットが始まり、メールが台頭し、そして携帯メールが日常生活に欠かせないものとなった。スマホではサイトも見れるしナビにも使える。ここまでは良い。ここまでの展開は画期的かつ素晴らしい進化で、かつ大きく利便性が向上し生活が豊かになった。
 問題はここからである。それは「ホントにTwitterとか必要なのかい?」という問題である。
 個人対個人で使っていたツールを、不特定多数の人達に向けての発信という用途に変化させ展開が始まっている。LINEもあるしFace Bookもある。Youtubeもある。その他様々なSNSと言われるツールでの友達探しや自己アピールなどの情報が無数に飛び交っているのだ。

 問題の一つは「なんとなく数を競わされる」という問題だ。FBでは友達の数、Twitterではフォロワーの数が自分の顔として表示されている。当然少ないより多い方が偉いのである。
 私はFBは形式的にエントリーしてるだけで、友達は1である(=_=)LINEに至っては一度も使ったことがないのでアプリすら入れていない。Twitterはブログの関係で使い始めたが、タイムラインは業者の渦で荒れ放題だ(*_*;

 Twitterのフォロワーを増やす方法の一つに相互フォローというのがある。私もフォローしてあげるからあなたもフォローしてね、というヤツである。これをすればフォロワーは一気に増える。Twitterはフォローしている人のツイートがタイムラインに表示される仕組みである。フォローしている数が増えれば増えるほど、タイムラインに流れて来るツイートは増加する。
 相互フォロー系の業者で多いのは、ネットビジネスである。開いてないからよく分からないがバイナリーオプションとか多いみたいだ。エロサイトもあるなぁ。で、そういった皆さんが宣伝のツイートを打ちまくるのだから、タイムラインは大荒れで目を背けたくなるような状態である。必ず儲かるからLINEで連絡をくれ、と書いてある業者が多い。なんだかなぁ、である(-_-;)

 私のTwitterのフォロワー数は1,300程だが全然多いとは言えない。個人でも1万単位とかいう人は珍しくないのだ。しかし1万とかフォローしてたらタイムラインはめちゃめちゃで、開いても意味がないように感じる。自分のツイートも海に小石を投げるように一瞬で消え去るのである。

 勿論使い方の問題だ。友人関係を中心に使っている人も多いし、数を求めず自分の好きなアーティストや芸能人などをフォローしている人も多いので、Twitter自体を否定する気はない。
 しかし、数を競わされる問題や目立ちたい問題で人生を狂わされる人も激増しているのである。自分のツイートをたくさんの人が見るとエラいように感じ、数を稼ぎたい!と何となく思ってしまうのである。それが事件を引き起こすなら、使い方は人それぞれ、などと言っていられないのではないか(-_-;)

 例えば江戸時代に目立ちたいと思ったら、変なカッコをして街をうろつくくらいしかなかった。奇声を発したり、踊ったり。
 スマホ時代到来の前もそんなに大差はない。奇抜な服装や髪型で街をうろついたり、バイクで突っ走るといったアナログな方法しか存在しなかったのだから、言っていれば江戸時代とあまり差はなかったのだ。
 今は違う。コンビニの冷凍庫に入って寝そべったり、ファミレスの厨房で裸になったりして、それをTwitterなどに投稿したりすれば、一応は「目立つ」という目的を達成できるのである。
 スマホ前とスマホ後は明らかに時代が変わったのだ。それは旧石器時代から縄文時代に変わったような激烈な変化と言えるのではなのか。
 生活が変わり、文化が変わり、リスクも犯罪も、良いものも悪いものも様々なものがいつの間にか画期的に変化したのである。
 多分1000年後くらいの日本の教科書には、スマホ前時代人とかガラケー人とか載ってるのではなかろうか。
 それくらいの変化の波の上を、私たちは小さな船で彷徨っているような気がする。ちょっと油断したら落ちる。目立とうとして船の上で激しく踊ったりしたら一発である。落ちれば二度と社会に戻れないかも知れないのだ(=_=)

 目立ちたいのは分かる。誰しも他の人がやらないことや、出来ないことをやって「おー、お前すげぇなぁ!」と言われたい気持ちはあるだろう。感心されたり褒められたリしたいのだ。 
 例えば線路に寝そべって写真を撮ってアップして問題となった人がいる。俺ってこんなに勇気があるんだぜぇ、みたいな話なのか。アンモラルな行為だな。
 尾崎豊時代(1980年代)なら、盗んだバイクで走り出したり、夜に校舎の窓ガラスを壊して廻ったりしなくてはならなかったのだ。
 しかし今は違う。誰でもスマホ一丁あればアンモラルな行為を簡単に出来るのである。

 あー、簡単ということの何と恐ろしいことか(◎_◎;)
準備がいらないので、行為のハードルがめちゃめちゃ下がっているのである。思いついたらすぐ出来るのだ。

 Twitterは「バカ製造装置」とか「バカ発見器」とか言われていたりする。ブログもFBも同じだろう。
 不用意な一言で痛い目に遭うのは会社でも家庭でもよくあることだ。しかしネット社会は世界に向かって無限に広がっていることを忘れてはならない。

 と、言いつつ大揺れの波の上をあてもなく彷徨い、訳の分からない話を毎日アップしている私は相当のバカなんだろうなぁ・・・(=_=)


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