2017年3月31日金曜日

お客様は神様じゃないよー!と声を大にして叫んでみる!/サラリーマンの王道


<作画:みやかね にわとり>

~「お客様は神様問題」の勘違いを一発ドーン!と指摘してみる!~

 デニーズへ行くと「デニーズへようこそ!」と言われる。すっかり慣れたが最初は驚いた。
 それまでの人生で「ようこそ!」と言われたことなど無かったからである
 リアルに直接言われたのは勿論生まれて初めてであり、テレビを通して言われたのも桜田淳子だけだったからだ(◎_◎;)

 多分「Welcome to Denny’s!」の日本語訳なのだろうが、最初はかなりに違和感があった。それでも慣れというのはスゴイ。今では何とも思わないし、デニーズに行って言われないと何だかとても寂しいのである。
 しかしアメリカのデニーズに行っても「「Welcome to Denny’s!」とは言われないそうだ。やはりこれも、今となっては日本的なサービスマナーなのであろうか。
 しかし以前から、このようなマニュアル的一律のサービスに関しては様々な意見がある。日本人のおもてなしの心からすれば、自主性を重んじる心のこもったサービスを目指すべきであり、形式だけ口先だけのサービスは却って不愉快などという意見も根強い。

 しかし、私はそれは違うと申し上げたい。形式的な口先だけのサービスも必要だという意見なのである。

 かつて日本だって「サービス」に関しては暗黒時代があったのだ(-_-;)


 私が子供の頃の国鉄は酷かった。不愛想なのはまだ許容範囲だが、怖かったのである。
「え?!何?!もう一回言ってよ!」などと威圧的な感じの人もいて、今ではとても信じられないほどの状態だった。
 タクシーの運転手の人も怖かった。短い距離で乗ろうもんなら露骨に不機嫌そうな感じで返事もしないような人もいたし、乗車拒否も当たり前の時代だって長かったのである。
 また、学生時代に百貨店で買い物をした時には、「早く決められないようじゃろくな社会人になれないわよ」とか年配の店員に言われたり、新入社員時代にゴルフに行ってバンカーに何度も叩いていたら「そんなんじゃ一生出ないよ!」などとキャディの人にバカにされたりしていたのである。
 そんな時は頭に来ても我慢するしかなかったのである。
 要は「企業のサービスが個人に委ねられていた時代」が長かったということだ。
 ならば今の方が全然ましではないか( `ー´)ノ
 「個人の判断で心のこもったサービスを」、なんて言ってたらろくなことにはならないのだ。

 その後、ファーストフード、コンビニ、居酒屋などのチェーン店を中心にマニュアル型のサービスが展開され日本の現在のサービス文化が形成されて来たと言って良いだろうと思う。

 よくネタになるのがファーストフード店でのこんな会話。
「ハンバーガーとコーラのセット20個ください」
「店内でご利用ですか」
「そんなわけないやんけー!わし一人でそんなに食えるかぁ!!」

 マニュアル通り対応することで、当然見れば分かることを確認されてしまい違和感を感じる、ということである。それは確かにそうかも知れないが、確認されるのが当たり前と思ってればそんなに腹も立たないだろう。
 それに全員一律のサービスを定着させれば、濃淡はあっても全体的には確実にレベルを上げることが出来るのだ。

 しかし企業側は競争原理からどんどん果てしなく、サービスレベルを上げようと努力を重ねているので、昨今は逆にこれが問題なのかも知れないと思ってしまう(=_=)



 一律のサービスでの顧客満足度を上げるのはもう当たり前で、企業は「感動を呼ぶサービス」とか、「お客様の期待を遥かに上回るサービス」とかいうのを標榜していたりするのだ。



 一時、外資系有名ホテルの「絶対にNoと言わないサービス」みたいなのが話題となっていた。お客様のどんな無理難題も笑って全力で対応するというのである。
 真冬に西瓜が食べたい、という客の要望を満たす為に、必死で何人もの人が探し回り遂に入手してお客様を感動させた、みたいな逸話が広まっていた。そしてそれがお客様の最大の満足となって、評判が更なる集客に繋がるという考え方だ。
 しかしさぁ、真冬に西瓜食いたいっていうヤツの方がおかしくないかい( `ー´)ノ
 そんな無理難題に付き合って仕事増やしてたら人件費がすごく上がって、収益を圧迫しやしないかい(*_*;と余計な心配をしてしまうのである。
 また、金さえたくさん払えば何でも言っていいんだ、というようなムードの醸成も懸念される。
 まぁ企業の自由だから、何でも好きにしていいとは思うが、それをスタンダードにしてしまうのは相当問題がありはしないだろうか。

 そうなのだ。ここで提起したいのは「お客様は神様問題」なのだ!こんな過剰サービスが、何でも言えば言う通りになる、客は圧倒的に優位な存在で何をしてもいいという勘違いに繋がってはいないか、ということである。
 だってどう考えたってお客様が神様であるはずがないのだ
 お客様はお金を払って商品を買ったり食事をしたり、その対価としてサービスを提供してもらっているだけであり、その意味では対等な関係である。威張ったりするのはもっての外だ。

 ならば何故日本人はこのような勘違いをしてしまったのであろうか。一つは今まで述べて来た、マニュアル型サービスの定着→競争原理→更に上位のサービスの追求、という過熱したサービス競争の弊害だろう。

 そしてもう一つ考えられるのが「三波春夫問題」ではないのか

「お客様は神様です」というフレーズで思い出すのはやはりこの人しかいない。この人のせいでみんなが勘違いしてしまったのではないのか。
 などと思っていたら、やっぱり三波先生にクレームがたくさん行ってるのか、公式サイトに反論的コメントが掲載されていた(◎_◎;)
 要約するとこんな感じ。
三波春夫にとっての『お客様』とは、聴衆・オーディエンスのこと。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズ。三波が言う『お客様』は、商店や飲食店などのお客様のことではなく、営業先のクライアントのことでもない。 しかし、このフレーズが真意と離れて俗に言うクレーマーには恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようだ。真意は 『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないので、お客様を神様とみて、歌を唄う』ということ」
出典:三波春夫オフィシャルサイト
http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

 三波先生も生前からいろいろ言われて心を痛めていたみたいですな(-_-;)

 しかしそれでも、サービス暗黒時代を現在のレベルに押し上げたのは、この三波先生のフレーズを勘違いして定着に利用した企業側の動きにあったことを忘れてはならない。
「ほら、お客様は神様って言うでしょ!」と研修などで言われ、(そう言えばそうだよな)などとみんな何となく納得していたのである(^^;)
 だから三波先生はかなり不本意であるとは思うのだが、日本のサービス文化黎明期に重大なご貢献をさせたのはスゴイことだと思うのだ(^-^)

 そして勿論忘れてはならないのは、これは三波先生の意図にもある通り、あくまでもサービスを提供する側の心構えである、ということだ。サービスを受ける側には全く何ら関係のない話なのである。

 なので、もしお客様から「俺は神様じゃねーのかよ?!」などとクレームをつけられた場合は、本記事を参考に丁寧にご説明することをご推奨するものである<m(__)m>



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