病気自慢はオヤジの証拠だ!
その激しい戦いを振り返る!
おやじは病気の話が好きである。そして重病だった人ほど威張るのだ。若い人はこんなことはない。病気自慢はおやじの証拠ですな。こんな病気自慢にまつわるエピソードです😀
(^.^)本日の記事の目次
👉病名が病気のイメージに合わないのは困るのだ!
👉更にプリン体もどうかと思うのだ!
👉病気自慢はおやじの証拠だ!
👉大きな病気の方が優位に立つのだ!
👉まとめ:病気自慢大会なんて、ホントは羨ましくも何ともないのだ!
👉病名が病気のイメージに合わないのは困るのだ!
ノロウイルスはコワイ。
たまに会社の人が罹って2~3日会社を休む。
ずっと下痢でトイレに行きっぱなし、とか悲惨な事を言う💦
日本の野呂博士が見つけたウイルスかと思ったらそうではなかった。
アメリカのオハイオ州ノーウォークで初めて発見されたところに由来しているようである。
しかし日本人からすると名前に緊迫感がないのが困る。
日本の野呂博士が見つけたウイルスかと思ったらそうではなかった。
アメリカのオハイオ州ノーウォークで初めて発見されたところに由来しているようである。
しかし日本人からすると名前に緊迫感がないのが困る。
ノロと聞けばどうしても、「のろのろした」とか、ゆっくりしたイメージになり緊迫感に欠ける。
いっそのこと「ゲロゲリスピードウイルス」といった名前に変えれば恐ろしい感じが伝わり易いのにな、と思ってしまう😨
ピロリ菌というのもある。
ピロリ菌というのもある。
何となく可愛らしい雰囲気である。
「胃腸の妖精ピロリで~す。今日も胃腸を守るわよぉ!」とか言って😀
「胃腸の妖精ピロリで~す。今日も胃腸を守るわよぉ!」とか言って😀
しかし、ピロリ菌はひどい胃炎を引き起こし癌の遠因とも言われている恐ろしい菌である。
名前は何とかならないものか。せめてビロリ菌とかベロリ菌ならいいのに😥
👉更にプリン体もどうかと思うのだ!
プリン体もどうかと思う。
プリン体はオヤジの敵である。痛風を引き起こすのだ。
痛風持ちの人は、ビールも飲めないし、食べ物だって相当注意しなくてはならないのである。
あまり良いイメージはないのだ。
でも明るく身体によさげな名前である🙄
知恵袋で検索すると、「私はプリンが大好きなのですが、プリンにはプリン体がたくさん入っているのでは、と不安です」などの質問をよく目にする。
誰しもそんなはずないよな、と思いながらも、一応は訊いてみたい問題ではある。
卵などを使っているから当然プリンにはプリン体が入っているのだろうが、たいしたことはないのだと思う。
つまり、なんだかちょっと紛らわしい感じなのである💦
👉病気自慢はおやじの証拠!
おじさん同士が話していると、どうしてもこのような健康や病気の話になる。
営業マンとしての仕事が長かった私も、お客様との会食では流れで病気の話になることが多かった。
所謂「病気自慢」である。
健康管理が出来ていて、病気にならず健康な人が立派で偉いと思うのだが、この話題になると逆である。
健康管理が出来ていて、病気にならず健康な人が立派で偉いと思うのだが、この話題になると逆である。
何故か病気の人が偉いのだ💦
しかも大きな病気の経験者ほど偉く威張っている。
👉大きな病気の方が優位に立つのだ!
同じような病気の人たちがぶつかり、戦いになることもある。
例えば同じ病気で大きな手術をした二人が、どちらが重いかを競い合うのだ。
この対戦では長く入院した方が優位に立つ。
「あー、あなたは2週間ですか。私なんか16日も入ってましたよ」とか、たいした違いもないのに優越感丸出しで言ったりするのだ😨
さらに手術に要した時間も重要である。
「集中治療室で10時間ですよ」とか言われると、相手は(やられた)と俯いてしまうのだ😥
さらにこのバトルが白熱して行くと、手術で切った長さや残った傷の話になる。
同じくらいだと言うと、「じゃぁ、見せましょうか?」と傷を見せ合うことにもなってしまう。
私には手術痕はないのでそんなことをしたことはないが、大の大人で社会的な立場もある二人が、ヒートアップしてワイシャツを脱いでシャツを捲り、傷を見せ合って戦う場面に何度か遭遇した。
そもそも傷の長さは執刀医の技量や手術の方法によって変わるため、それを持って重病とも言えないと思うのだが、当事者はそうは思わないようだ。
ともかくこいつには負けまいと張り切って、どうだどうだと傷を見せつけるのだ。
この論戦に嵌った時、健康体は著しく不利である。
言葉を挟む余地は全くない。
非常に肩身の狭い思いをする。
心の中で(あーあ、俺も何か病気しとけば良かったなぁ・・・)などとふと思ってしまうのだ。
例えば同じ病気で大きな手術をした二人が、どちらが重いかを競い合うのだ。
この対戦では長く入院した方が優位に立つ。
「あー、あなたは2週間ですか。私なんか16日も入ってましたよ」とか、たいした違いもないのに優越感丸出しで言ったりするのだ😨
さらに手術に要した時間も重要である。
「集中治療室で10時間ですよ」とか言われると、相手は(やられた)と俯いてしまうのだ😥
さらにこのバトルが白熱して行くと、手術で切った長さや残った傷の話になる。
同じくらいだと言うと、「じゃぁ、見せましょうか?」と傷を見せ合うことにもなってしまう。
私には手術痕はないのでそんなことをしたことはないが、大の大人で社会的な立場もある二人が、ヒートアップしてワイシャツを脱いでシャツを捲り、傷を見せ合って戦う場面に何度か遭遇した。
そもそも傷の長さは執刀医の技量や手術の方法によって変わるため、それを持って重病とも言えないと思うのだが、当事者はそうは思わないようだ。
ともかくこいつには負けまいと張り切って、どうだどうだと傷を見せつけるのだ。
この論戦に嵌った時、健康体は著しく不利である。
言葉を挟む余地は全くない。
非常に肩身の狭い思いをする。
心の中で(あーあ、俺も何か病気しとけば良かったなぁ・・・)などとふと思ってしまうのだ。
👉まとめ:病気自慢大会なんて、ホントは羨ましくも何ともないのだ!
しかし、宴席が終わりお客様をお見送りすると我に返る。
一体今の話はなんだったのか😓
冷静によく考えれば、病気自慢大会など羨ましいはずがないのだ。
病気をしてない人の方が絶対ラッキーなのである。
病気をしてない人の方が絶対ラッキーなのである。
健康体は白熱のバトルを思い出しながら、あー、良かったと安堵のため息を吐くのだった。
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