松山でわしも考えた(後編)
愛と感動のカールシリーズ最終章、遂に完結!
カールショックの真実を求め、私は松山に飛んだ。
四国明治松山工場でカールおじさんと感動の再会を果たし、その後絶景の無人駅「下灘」へと向かった私は、遂に結論に辿り着いたのだった!
(^.^)本日の記事の目次
👉四国明治松山工場でカールおじさんの面影を探した!
👉近くを散策してみる!
👉絶景の無人駅「下灘」に向かってみる!
👉下灘駅に着く!
👉まとめ:カールショックの真実をお伝えします!
👉四国明治松山工場でカールおじさんの面影を探した!
私は東京から一路松山を目指した。
それはカールショックの真実を探す旅であった。
松山城に上り、鍋焼うどんを食い、松山を堪能しつつも私の心は晴れなかった(-_-;)
カールがなくなることに何故あんなにがっかりしたのか=カールショックの真実を、未だに自分の中で解明出来ていなかったからである。
そして私は伊予鉄道の三津駅で降り、遂にカールおじさん兄弟の引っ越し先とも言える四国明治松山工場に辿り着いた。
私は感動に震えた(;O;)
良かったぁ!カールおじさんたちは歓迎されてたんだぁ!と勝手に思ってしまったのである。
感動の余り、ややメソメソしながら(/_;)写真を撮る私を、行きかう人々は好奇の目で見るのだった。
そりゃそうだよな。ただの工場だ・・・(-_-;)
だがしかし、私の目は工場の入り口の写真に吸い寄せられた!
あー、ホントに良かったぁ。
当地松山工場の一番の看板は、他でもないカールおじさんだったのだぁ!
👉近くを散策してみる!
工場からほんの数十メートル歩けば、静かな漁港である。
人影もまばらで、初夏の風が優しい。
私は空を見上げ思いを巡らせた。
カールおじさんのこれからを想ったのである。
カールの生産はここ四国明治の松山工場だけになる。
そしてカレー味は生産中止となり、「チーズ」「うすあじ」の2品目だけが西日本で販売継続になるという。
それはメーカーのせめてものカール愛の顕れであろう。
ポテチなどのスナック類の多様化に押され、更にほぼ同じ味のコンビニPB商品にも翻弄されつつ、カールおじさんは尚も明治の顔として存在し続けて来たのである。
だからメーカーも本当に苦渋の選択だったのだ。
私は海を眺めつつそんなことを思った・・・。
👉絶景の無人駅「下灘」に向かってみる!
四国松山工場を後にした私は、JR松山駅にいた。
時刻は15時。さてどうしたものか・・・。
何一つ予定はないのである(-_-;)
何一つ予定はないのである(-_-;)
その時思い出したのが、先日NHKの「ドキュメント72時間」という番組でたまたま観た「下灘」という駅であった。
番組タイトルは「四国 海だけの小さな駅で」。
JR予讃線の無人駅で、松山からは1時間程度らしい。
単線のホームに、ベンチと屋根だけがあり、目の前は海と島影だけの絶景の地という。
もう本当に何もすることがない月曜の午後である。
今回を逃せば下灘には恐らくもう二度とは来れないだろう(-_-)
私は思い切って行ってみることにしたのだった。
階段を下りて乗車ホームに行ってちょっと驚いた。
一両だけの電車が待っていたからだ。
生活用のローカル線だから当然なのだろうが、今まで一両の電車に乗った経験があるかと問われれば、初めてだと答えるほかはない。
後ろ乗り、前降りのワンマン電車である。
座席はほぼ満員。
電車は松山を発車した。
👉下灘駅に着く!
約1時間で下灘駅に到着した。
降りたのは私一人であった。
曇天の向こうに太陽が霞む瀬戸内海が広がる。
曇天の向こうに太陽が霞む瀬戸内海が広がる。
島影が美しく私はため息を吐く。
ここはかつて「海に一番近い駅」と言われ、「一度は降りてみたい!日本の美しい無人駅」というランキングでも2位となっているらしい。
この駅では様々な映画やドラマが撮影されているという。
「男つらいよ」や「HERO 特別篇」、最近では「リバース」でもロケがあり先日放映されたようだ。
私の旅もいよいよ終わりに近づいている。
明日は松山空港から東京へ帰ることになる。
松山へ戻る電車が到着するまでの約1時間半、私は下灘駅のベンチに腰掛け、ただぼんやり海を眺め続けた。
そして多分、その時間は今まで生きて来た中で一番ゆったりしたゆるやかな時間であったと言わねばなるまい。
そして私はその静かな時間の中で、遂にカールショックの真実に気づいたのだった(;O;)
👉まとめ:カールショックの真実をお伝えします!
松山に来た私は、松山城、鍋焼うどん、四国明治松山工場、下灘と巡った。
歩き回り、リフトに乗り、いくつかの電車に乗り、静かに空を見上げ海を眺めた。
歩き回り、リフトに乗り、いくつかの電車に乗り、静かに空を見上げ海を眺めた。
だが私はどんな時もずっと考え続けていた。
カールショックとは何だったのか。
一つのスナック菓子が東日本から消えるというだけで、列島が震えたあの日。
菅官房長官に記者が思わず質問したあの時。
このようことは、今後もう二度と起きることはないだろう。
そしてもはやこの旅を終えようとする時に、ようやく私は気づいたのだった。
カールショックは「カールおじさんショック」に違いない・・・。
人々はカールが食べられなくなることにショックを受けたのではないのだ。
自分たちがしばらくカールを買わなかったことで、カールおじさんが消えてしまうことに悔恨や哀惜の念を感じたのである。
その原因が自分たちにあることに、強い責任を感じたのだ。
自分たちがしばらくカールを買わなかったことで、カールおじさんが消えてしまうことに悔恨や哀惜の念を感じたのである。
その原因が自分たちにあることに、強い責任を感じたのだ。
つまりカールおじさんに申し訳ない、と思ったのである。
自分たちがカールおじさんを追いやったような感情に囚われ、切ない感傷に浸ったのだ。
しかし、私はこの素晴らしい町松山を訪れ、この地でカールとカールおじさんはいつまでも生き続けてくれるに違いないと確信するに至ったのである。
いずれ「松山ご当地カール伊予柑味」として復活し、カールおじさんは町おこしにも貢献する日が来るであろう。
きっと顔出しパネルなんかも出来て、観光の新たな目玉になるに違いない。
そうなのだ。
松山はカールおじさん兄弟たちの新たな故郷になったのである。
松山はカールおじさん兄弟たちの新たな故郷になったのである。
松山には松山城、道後温泉に加え、とべ動物園という全国動物園ランキング5位の素敵なスポットもある。
人工飼育のシロクマ「ピース」は17歳を迎える今も、「世界一優しい目をしたシロクマ」と言われているのである。
私は願う。
この松山の地で、新たなカールおじさんのストーリーが始まることを。
そしてこの願いは私だけの想いではないのだ。
あの日カールショックを感じたみんなの想いが、私にこう願わせていると思えてならないのである。
物語の終わりと始まりにこの一句を捧ぐ。
「松山は 城に温泉、動物園
それにつけてもおやつはカール」
キャプテン福田心の俳句(俳句じゃないけど)(^-^;
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